命の継続と次世代への遺志〜スティーブ・ジョブズの言葉から再考する

はじめに:人生100年時代、改めて問う「生きる意味」

前回のブログから約2週間が経ちました。皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。

私たち70代は、人生の集大成とも言える大切な時間を生きています。「人生100年時代」と言われ、健康寿命が延びたとはいえ、自身の命の有限性、つまり「いつか必ず終わりを迎える」という事実を、若い頃より遥かに身近に感じているのではないでしょうか。

私自身、この年になって改めて、「この世に存在することの危うさと、何か次の世代に残すことができるのか」という問いが、深く心に響くようになりました。これは、単なる老後の不安ではなく、「いかに生き、いかに死を迎えるか」という、全人生に関わる根源的なテーマです。

この問いを考える上で、若くして成功を収め、しかし病によって命の期限を意識せざるを得なかった故スティーブ・ジョブズ氏の言葉を思い出します。彼は、「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」と語り、また、富よりも「愛情が満ちた思い出」こそが本当の豊かさであると示唆しています。

彼の言葉は、私たち70代の死生観に、新たな視点を与えてくれるはずです。今回は、ジョブズ氏の示唆を胸に、高齢者としての命の継続と次世代への遺志について、深く掘り下げて再考してみたいと思います。

1. 命の継続とその不思議さ

宇宙的視点から見る「いのちのバトン」

私たちが生きている時間は、宇宙の46億年という時間スケールにおいては、まさに「ほんの一瞬の出来事」です。しかし、驚くべきことに、地球上の生命は絶えることなく脈々と続いてきました。

私たち一人ひとりの命は、両親、祖父母、さらにその祖先へと、数えきれないほどの世代を経て受け継がれてきた「いのちのバトン」の、まさに今を走るランナーです。その連鎖が、数万年、数十万年と続いているという不思議さに思いを馳せると、自分の存在がいかに小さなものであるかと同時に、そのバトンを受け取っていること自体が、いかに奇跡的で尊いことであるかを感じずにはいられません。

この命の不思議さは、私たちが単なる個体ではなく、宇宙に存在する「大いなる何かの力」、あるいは「生命の環」の一部であると考えることもできるでしょう。

自分が「いのちの連鎖」の重要な一環であるという自覚

私たちは、このバトンを「未来へ渡す」という重要な役割を担っています。肉体的な継続が難しくなっても、私たち自身の記憶、経験、思想は、次の世代に影響を与え続けます。

特に70代の私たちは、激動の昭和・平成・令和を生き抜き、日本の戦後の復興と発展を支えてきた世代です。この「生きてきた証」こそが、脈々と続く「いのちの連鎖」の中での、私たちの存在価値なのです。この自覚を持つことで、残りの時間をただ静かに過ごすのではなく、「自分は今、大切なバトンをしっかりと握っている」という、静かな誇りを持てるのではないでしょうか。

2. 遺したいもの―次世代への遺志とは?

スティーブ・ジョブズが残した真のメッセージ

ジョブズ氏は、スタンフォード大学の卒業式スピーチで「時間が限られているのだから、ほかの誰かの人生を生きることでそれを無駄にしてはいけない」「自分の心に従わない理由はない」と力強く語りました。彼は、迫りくる死を前にして、富や名声が色あせ、真に価値があるのは「愛情が満ちた思い出」だと悟りました。

彼のメッセージは、世界を変えるような偉大な功績を上げることではなく、「後悔なく、自分らしく生きること」、そして「愛する人を大切にすること」こそが、最も大切な遺志になるということです。

世界を変える必要はない、私たちの身近な「遺志」

私たちは、ジョブズ氏のように世界を変える発明をする必要はありません。私たち70代が次世代に残す「遺志」は、もっと身近で、温かいものです。

  • 家族への「愛情と感謝」という遺志: 孫やひ孫に語る昔の話、手書きのメッセージ、一緒に過ごした時間そのものが、愛情あふれる思い出として深く心に残ります。これこそ、ジョブズ氏が最後に気づいた「本当の豊かさ」です。
  • 地域社会への「貢献と知恵」という遺志: 長年培ってきた経験や知識を、ボランティア活動や趣味の指導、地域の見守り活動などを通じて分かち合うこと。それは、地域を支える貴重な「生きた知恵」の継承になります。
  • 「生きる姿勢」という遺志: 病や老いを受け入れながらも、感謝の気持ちを忘れず、一日一日を大切に生きる**「穏やかで尊厳ある姿」は、次世代にとって最高の道標となります。「どう老い、どう死を迎えるか」**という姿は、言葉以上に強く、家族や周囲の心に刻まれる「遺志」です。

3. 高齢者の生きる意味を見つけるために

経験と知恵を「資産」として社会と繋がる

高齢者として命の継続と次世代への遺志を考えることは、**「生きる意味」**を見つけるための、最も確かな手がかりとなります。

私たちは、自分が過ごしてきた長い時間を単なる「過去」としてではなく、「貴重な資産」として捉え直すべきです。これまでに積み上げてきた経験や知識は、若い世代が直面する現代の複雑な問題に対する、ヒントや洞察の宝庫となり得ます。

  • 孤独を避け、積極的に社会と関わる: 健康状態が許す限り、趣味のサークル、地域の集まり、軽い仕事など、人との交流を保ち続けることが大切です。内閣府の調査でも、健康状態が良い人ほど「生きがいを十分感じている」という結果が出ています。社会との繋がりこそが、自己の存在価値を再確認し、生きる活力を生み出す源泉です。
  • 自分らしく、最後まで「決める」こと: 終末期医療や介護、延命治療に対する希望を、家族や医療・介護職者に明確に伝える「アドバンス・ケア・プランニング(ACP:人生会議)」も、大切な生きる意味の一つです。自分の意思を最期まで貫こうとすることは、自分自身への尊厳を守るとともに、残される家族への最大の思いやりとなります。

残された時間を豊かにする「積極的な生き方」

「高齢者だから」と、新しい経験や学びから遠ざかる必要はありません。70代だからこそ持つことができる「時間の豊かさ」を活かして、新しいことに挑戦する意欲を持つことが、残された時間を輝かせます。

  • デジタルデバイスに挑戦し、遠方に住む孫とオンラインで交流する。
  • 若い頃に諦めた趣味や習い事を再開する。
  • 地域の歴史や文化を学び、その魅力を次世代に伝える活動をする。

これは、単なる時間潰しではなく、「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」というジョブズ氏の問いに対する、私たち自身の積極的な回答になります。その日一日を、感謝と喜びに満ちたものにすることで、人生の幕を閉じる瞬間も、後悔のない穏やかなものになるでしょう。

まとめ:命を繋ぐ者としての誇り

高齢者としての死生観を再考することで、私たちは、生命の継続という壮大な不思議の中に自らが存在し、次世代への遺志を持つことの大切さを再認識できました。

スティーブ・ジョブズ氏の言葉は、私たちに「自分の心のままに、愛と感謝をもって生きる」ことの尊さを教えてくれます。富や功績ではなく、「愛情に満ちた思い出」こそが、私たちが携えて天国へ持っていける唯一の豊かさなのです。

私たち一人ひとりは小さな存在であっても、「いのちのバトン」を未来へと繋ぐ重要な役割を担っています。その遺志を持ちながら、一日一日を丁寧に、周囲の人々に寄り添いながら生きることが、70代としての最も崇高な生きる意味を見つける道となるでしょう。

さあ、私たちと共に、命を繋ぐ者としての誇りを胸に、残りの人生を輝かせ、愛という名の確かな遺志を次世代に残していきましょう。

Follow me!